西郷頼母と言えば、藩主の松平容保が京都守護職に就くことを最後まで反対していた方ですね
はじめは就任を固辞していた容保でしたが、越前藩主から藩祖保科正之の会津藩家訓を盾に説得されて決意したようです
いつの時代も、根拠・正論で攻めてくる人がいるんですね~
偉い方のお屋敷だけあって、結構な広さです😀
総敷地面積は七千坪あるとか💦
式台玄関
ここから籠に乗ってお城まで通勤してたのかなぁ…と思っていましたが
籠はよほどの行事の時でないと乗れないと解説がありました😅
敷地内にある歴史資料館
初代藩主の保科正之から第9代の松平容保までの会津藩の史料が展示されていました
この横を抜けると精米所があり、
直径4mの水車が回るよくできた造りの精米機があって驚きました✨
言わずと知れた新選組隊旗
このだんだら模様はどこで見ても目立ちますね
中学生のころ、ラジコンカーのボディをこの新選組隊旗のカラーに塗ってレースに出たことを思い出しました💦
けっこう目立ってた気がします😅
遅かったですけど……
次タミヤグランプリに出る時は、またこのカラーにして出てみるか😁👍
新選組のドラマ等ではこの柄の羽織を必ずと言っていいほど着ていますが、
実際はそれほど着用されていなかった、またはまったく着用されていなかった、
という記録もあるようですね
大変立派なお屋敷でしたが、一族の女性21名が自刃した部屋もあり、複雑な思いです
鶴ヶ城へ移動
飯盛山と武家屋敷をじっくり見学しすぎてお昼をだいぶ過ぎてしまい、
行く予定だったソースカツ丼屋さんが夕方まで休憩時間に入ってしまいました…
見つけたもう一軒はなぜか営業しておらず(今日が休みなんてどこにも書いてなかったのに💦)、その先にあった吉野家に入りました🍚
初めてセルフ方式の吉野家に行きましたが、レジのお姉さんをはじめスタッフみなさんが親切丁寧にいろいろ教えてくれたので、気持ちよく食事が出来ました😀
吉野家118号線会津若松南店のスタッフの皆様、ありがとうございました❕❕
2011年(平成23年)に幕末当時の赤瓦に葺き替えられました
この機会で旅行を計画していましたが、東日本大震災が発生して延期せざるを得ませんでした
『明治に生きた会津人編』となっているので入っていないことは理解できましたが
公用方として活躍された神保修理がどこにも出てこないのが残念でした
会津に来ると決めた後、神保修理が眠る東京・白金にある興禅寺にお参りに行きました
ここには神保修理ともう一人、戊辰戦争の責任を負って切腹した萱野権兵衛の墓もあります
藩校日新館でも秀才と言われ、広い視野をもって西方諸藩の面々にも支持されていた神保修理
軍事奉行として鳥羽・伏見の戦いで敗れた責任なのか、
はたまた指揮官の不祥事のスケープゴートにされたのか…
またたらればになってしまいますが、
この方が生きていたら会津藩は……って思ってしまいます
西軍が砲台陣地にしていた小田山
約1.3kmほどですが、あんなところから大砲の弾が絶えず飛んで来たらどんな頑丈にできた建物でも大変な被害になりますよね💦
まだまだ行きたい所がありましたが、また次回にします😖
帰りのハイカラさん号は、おしゃれなバスでした😊
さあ、明日帰りますよ❕❕
道が混んでなければいいなあ~
が、あまりの暑さでバテました💦💦
これではとても三浦半島までたどり着かないと思い、急きょ浦和美園のホテルを予約💦
空室があってよかった😅
途中、東北道のサービスエリアでお話ししたアフリカツイン乗りのおじさんも、
こんなに暑かったら運転中に意識ぶっ飛んで事故起こしちゃうね❕❕と言ってました
浦和レッズサポーターとしては、浦和美園に泊まるなんてワクワクです笑
埼玉スタジアムまで歩く元気はありませんでしたが……
藩校日新館や瀧澤本陣、母成峠などなど行けなかったところがたくさんあるので、
近いうちリベンジしたいと思います
会津若松、喜多方のみなさんのあたたかいおもてなしで、楽しい旅になりました😊✨
さて、帰ったらCBとレブルの整備をしよう❕